井上ひさしは社会に対して積極的に行動し、発言しました。コラムやエッセイに書き、インタビューや講演で語ったことばの中から<今を考えるヒント>をご紹介します。

  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
聞き手:山田健太さん(JCLU事務局長)

「憲法」を熱く語ろう(2)

井上  日本国憲法っていうのはべつに日本人が発明したわけでもなくて、日本人も人類の一員ですから、人類が圧政や奴隷制とかいろんなことに苦しんで苦しんで闘って、人間として必要なものを少しずつ獲得してきたその歴史の塊が憲法です。奇跡的に、たまたま日本に人類の英知、それまでの血と汗と涙、それから命を固めたいろんな価値がここに集まっちゃったわけです。だから、この憲法は、たとえ日本人に冷たくされて、「あれは床の間に上げとけ」とか黙視されたりしたとしても、孝行息子のように静かに、南極条約を決め、ラテンアメリカ条約とかも決め、地球の半分以上を非核兵器地帯にしたんです。日本国憲法がこれまでやったことを数えたら、南極条約、宇宙条約、海底非核化条約、ラロトンガ条約とあり、それで中米と南米二十何カ国、南太平洋、アフリカ大陸、東南アジア、南極、海底、それから大気圏を抜けた宇宙空間すべて非核兵器地帯になっているんです。僕はいつも地球儀に赤で非核兵器地帯になったところを塗っていくわけです。そうすると、地球の6割近くがもう核兵器の使えない地帯になっているんですよ。それらの条約を詳しく読んでいくと、必ず前文にあたるところで日本国憲法の前文のどこかがちゃんと引用されてるんですね。くどくなりますけれども、この憲法には人類が、人間が苦しんで獲得した様々な知恵とか権利とか、そういうことが一気に流れ込んじゃったものですね。

山田  では、これから僕らはどうしていけば……。

井上  ナチスドイツが、つまりヒトラーが国内からユダヤ人がいなくなればドイツは素晴らしい国になるという演説をする、独裁者というのは必ず国内に敵をつくるんですよ。つまり国民を同じ方向へ持っていくためには必ず国内に一つ悪者をつくるわけです。それから、国外にも悪者をつくるんです。僕はどうもタバコがそうじゃないかと思うんですよね(笑)。この10年間の統計でタバコを吸う人はちょうど半分に減ったんです。けれども、一斉に灰皿が消えていくって、これは恐ろしいですよ。ある日突然、喫茶店からレストランから建物から一切消えていく。これね、タバコだったらまだいいんですよ。ひとに迷惑をかけないように吸えば、自分の運命は自分で決めているわけですからね。ほかの何かだったら大変ですよね。つまり、タバコのいい悪いよりも一斉にやめていくというのが怖いんです。国の雰囲気がキューッと変わってしまうというのはすごく怖いんですよ。それは、僕が体験した8月15日、夏休みが始まる前に国民学校の校長先生が黒板に「撃ちてし止まむ」とか書いて、夏休みの間に戦争が終わっちゃう。で、新学期になったら「これからは民主主義だ」みたいなことを書くわけでしょう(笑)。一気に変わっちゃうんですよ、世界が。これが僕は怖いんです。
  昨日の生活が今日も続いて明日も続きながら、少しはいろんなことがましになっているというのが僕は平和だと思っているんです。そのために、私たちは常にこれまでどうも否定形で「するべからず」「守れ」、つまり武器を持たないとか、戦争をしないとか、常に否定形でいろんな運動を進めてきたような気がするんです。でもこれからは、肯定的に「する」ほうへ、半歩でも前へ進まないとだめだな、本当にわずかに進むために前へ出ていくしかない。非常に抽象的ですけれども、それ以外もうないだろうと。つまり、憲法を守るということをやりながら、実は憲法を実現していく。たとえば、ジュネーブ条約の第59条無防備地区。紛争当事者が、戦争をしている者同士が、無防備地区を攻撃することは手段のいかんを問わずこれを禁止する。無防備地区になる条件は、
  ・都市なら都市に全ての戦闘員がいない、
  ・移動可能な兵器は全部外に出ている。
  ・固定された軍事施設というのはあっても使われないようにする、
  ・市民が戦う意思がない。
  この4つの条件を満たすと無防備地区になれるわけです。ここを攻撃すると国際法上の犯罪になるわけです。
例えば藤沢市、それから鎌倉市が横須賀を無防備地区で取り囲んだらどうなるかということを、憲法の9条を守るということと同時にやっていかないといけない。もう受け身一方、「守る」「するな」というのは疲れたわけです。憲法を守るというよりも、憲法をもって前へ進む、まともな前進をしたいという気が起きて、私たちは今住んでるところでそれをやっているわけで、議会と首長、市長、町長、村長をウンと言わせなきゃいけませんから、ふだんの選挙から大事になってくるわけです。そういうことを、これは国際条約ですから世界あちこちで準備が始まっています。オレたちはもう戦わないという意思が尊重される時代が実は始まっているんです。守ったりなんかするんじゃなくて、こっちからやっていこうという時期がもうきている。ですから、日頃の生き方の中に、公平さや平和というものを含んだ生き方をして、毎日大変だけど前へとにかく行こうというふうに切り換えたいと、私はそう思っています。

JCLUNewsletter「人権新聞」改題
通巻第365号2008年2月号に掲載

    

前へ<    1 ,2

Lists

 NEW!
 1989年執筆
作曲家ハッター氏のこと
「餓鬼大将の論理エッセイ集10」
(中公文庫)に収録


 仙台文学館・井上ひさし戯曲講座「イプセン」より
近代の市民社会から生まれた市民のための演劇
「芝居の面白さ、教えます 海外編~井上ひさしの戯曲講座~」(作品社)に収録


 2005年の講和より再構成
憲法前文を読んでみる
『井上ひさしの子どもにつたえる日本国憲法』(講談社 2006年刊)に収録


 1998年5月18日 『報知新聞』 現代に生きる3
政治とはなにか
井上ひさし発掘エッセイ・セレクションⅡ
『この世の真実が見えてくる』に収録


 2004年6月
「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」小森陽一対談集
(シネ・フロント社)より抜粋


 1964〜1969年放送
NHK人形劇『ひょっこりひょうたん島』より
『ドン・ガバチョの未来を信ずる歌』


 2001年11月17日 第十四回生活者大学校講座
「フツー人の誇りと責任」より抜粋
『あてになる国のつくり方』(光文社文庫)に収録


 2007年執筆
いちばん偉いのはどれか
『ふふふふ』(講談社文庫)、
『井上ひさしの憲法指南』(岩波現代文庫)に収録


 2009年執筆
権力の資源
「九条の会」呼びかけ人による憲法ゼミナール より抜粋
井上ひさし発掘エッセイ・セレクション「社会とことば」収録


 1996年
本と精神分析
「子供を本好きにするには」の巻 より抜粋
『本の運命』(文春文庫)に収録


 2007年執筆
政治家の要件
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年執筆
世界の真実、この一冊に
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
日本語は「文化」か、「実用」か?
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)より抜粋


 1991年11月「中央公論」掲載
魯迅の講義ノート
『シャンハイムーン』谷崎賞受賞のことばより抜粋


 2001年8月9日 朝日新聞掲載
首相の靖国参拝問題
『井上ひさしコレクション』日本の巻(岩波書店)に収録


 1975年4月執筆
悪態技術
『井上ひさしベスト・エッセイ」(ちくま文庫)に収録


 講演 2003年5月24日「吉野作造を読み返す」より
憲法は「押しつけ」でない
『この人から受け継ぐもの』(岩波現代文庫)に収録


 2003年談話
政治に関心をもつこと
『井上ひさしと考える日本の農業』山下惣一編(家の光協会)
「フツーの人たちが問題意識をもたないと、行政も政治家も動かない」より抜粋


 2003年執筆
怯える前に相手を知ろう
『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫)に収録


 1974年執筆
謹賀新年
『巷談辞典』(河出文庫)に収録


 2008年
あっという間の出来事
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2008年
わたしの読書生活
『ふふふふ』(講談社文庫)に収録


 2001年
生きる希望が「なにを書くか」の原点
対談集「話し言葉の日本語」より


 2006年10月12日
日中文学交流公開シンポジウム「文学と映画」より
創作の秘儀―見えないものを見る


 「鬼と仏」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 2006年5月3日 <憲法制定60年>
「この日、集合」(紀伊國屋ホール)
“東京裁判と日本人の戦争責任”について(1)~(5)


 「核武装の主張」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


 「ウソのおきて」1999年執筆
中公文庫『にほん語観察ノート』に収録


  2007年11月22日
社団法人自由人権協会(JCLU)創立60周年記念トークショー
「憲法」を熱く語ろう(1)~(2)


 「四月馬鹿」2002年執筆
講談社文庫『ふふふ』に収録


 「かならず失敗する秘訣六カ条」2005年執筆
文藝春秋『「井上ひさしから、娘へ」57通の往復書簡』
(共著:井上綾)に収録


 「情報隠し」2006年執筆
講談社文庫『ふふふふ』に収録


 2008年3月30日 朝日新聞掲載
新聞と戦争 ―― メディアの果たす役割は
深みのある歴史分析こそ


 2007年5月5日 山形新聞掲載
憲法60年に思う 自信持ち世界へ発信