戯曲雑誌「せりふの時代」2000年春号掲載
井上ひさし×平田オリザ「話し言葉の日本語」より抜粋
日本語は「文化」か、「実用」か?
平田 昨年(一九九九)の十二月三日の『日本経済新聞』に「揺れる日本語」という記事がありましたんで、もってきたんですが、ここに二つの対照的な意見があるんです。ひとつは紀田順一郎さんのご意見で「いま、問題なのは国語観の理想の欠如だ」とおっしゃっているんですね。つまり、日本語が乱れているのは、文芸家が洗練された新しい言葉を生み出す努力をしてこなかったからではないか、国語改革は明治の言文一致運動のように、文芸家が主導して行うべきだっていうんですね。
一方、加藤秀俊さんのご意見は、まったく反対なんです。「日本語と日本文学を区別する必要がある。なぜか日本では言語と文学を一緒にした教育が行われてきた。文学は言葉の芸術であって、これを学んでも、一般人の日常の言語活動にあまり関係がない。日常の会話でしっかりと意思伝達することのほうが大切だ」とおっしゃっているんですね。
井上 反対したい……(笑)。
平田 日本語がただ通じればいいというのであれば、加藤さんの主張もそれはそれで理屈としてはいいんだとは思うし、だったら米語を第二ではなく、第一公用語にすればいいとさえ思うんですね。でも、それでは、国際社会においては尊敬は得られない。芸術文化、特に文学、演劇というものは、固有な言葉という非常に民族思想の純化した形態を通して、自己を表現していくものだと思うんですよね。その自分と違うものをもった異文化に接することでおたがいを尊重しようという気持ちがおこってくる。
たとえば、どんなにロシアの経済がおかしくなっても、ロシア人やロシア語は役に立たないとは思わない。ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフの「言葉」を通して、ロシア人というものを尊敬している部分が僕にはありますからね(笑)。
井上 日本が二十一世紀になっても「ああ、日本という国はとてもいい国だな」と世界の人たちに誇りをもって言える国でありたいと思うなら、日本人がもっと自国の文化を大切にしなければいけない。そのためには、日本語が圧倒的に重要なんです。単に英語を使おうというのであったら、プエルトリコではないですけど、日本はアメリカの五十数番目の州になってしまいますから。
平田 公用語が英語になってしまう。少なくともフランス人にはばかにされますね。たとえばフランス人は、とっても漢字に興味があるみたいで、今回も漢字、漢字ってうるさいくらい、興味をもってくれています。漢字で「奴」と染め抜かれたTシャツなんか、着ていますからね。それはちょっとやめておいたほうがいいよって言いたいくらいです。
井上 僕もオーストラリア国立大学で日本語科の学生たちが漢字に夢中になっているのを見ました。木偏とかサンズイとか、外国人にとっては日本語の漢字には体系があっておもしろいらしいんですね。-外国人にとって漢字は大変むずかしいと思われがちですが、ドナルド・キーンさんに言わせれば、漢字は子までが大変で、こんな悪魔みたいな字をだれが発明したんだと思うけど、千を超えたら分類がわかってきておもしろい、二千を超すと、簡単になるそうです。
平田 漢字の話で思い出しましたけど、最近、僕はいつもこれを持ち歩いているんですが、えーと、これです。明治三十三年の『時事新報』なんですけど、このなかの「よろずあんない」というコラム。これ、だれでも読めるようにというんでひらがなだけで、こんなふうに書いてあるんです。「このらんには、うせもの、ひろいもの、いえやしきなどのうりかい、かりかし、ひとをやといたきこと、やとわれたきこと、そのほかなにごとによらず、よにんのべんりとなるみじかきこうこくをあつめ...」なんて。ただむずかしい漢字を使わなければいいというものではないという証拠ですね。問題は文体の側にある。
井上 これは小森陽一さんの卓見なんですが、明治時代の『朝日新聞』というのは、大衆紙で、いまのタブロイド版の夕刊紙みたいなものだったそうです。そこに夏目漱石が東大教授の誘いを蹴って入社する。当時としては一大事件ですね。それでこの事件は日本語をどう変えたか。ここからは僕の説ですが、漱石はそこで連載小説の作家を決めたり、自分も書いたりしているうちに、新聞の日本語のうちのある部分を、占領し始めるわけですね。そうすると、小説家が書く日本語に、他の新聞記事が影響を受ける。漱石たちが磨き上げた日本語が紙面に次第に広がっていく。それまでいいかげんに書かれていた三面記事まで、起承転結がしっかりとした、平明ないい文章になっていく。そして、それを読む読者たちから、読まない人たちへとまた伝わって、明治の日本語がどんどん磨かれていった。
日本語を考えるうえで、こうした事実は、重要です。押し寄せる外国の文化を日本語としてしっかり受け止めながら一方で、自分たちがふだん使う日本語を磨いていく。ただ通じればいいというのではなく、新しい時代にふさわしい日本語をどうつくっていくかということに、物書きはもっと使命をもっていないといけないという意見には賛成です。
平田 そうそう。私が小森さんの話でひとつおもしろいなと思ったのは、当時の新聞小説というのは、夕食時にお父さんが家族に読んで聞かせるものだったというんですね。一種の朗読劇の台本だったわけです。だから、実際の部数よりも読者はたくさんいた、という。そのことによって、言文一致の文章が一層広まったといいますね。
井上 それは明治だけの話ではなくて、昭和の十年代、実際、僕も経験しました。僕の祖父はよろず屋をやっていたんですが、夜になると店を閉めて、広い台所に使用人を集めて、新聞を読んで聞かせていました。そんなことはどうでもいいんですけど、平田さんと僕が何を言いたいかといえば、加藤秀俊さんのおっしゃった「文学は言葉の芸術であって、これを学んでも、一般人の日常の言語活動にあまり関係がない」という意見に反論をしているわけです。言葉というものは「目」だけでなく、「耳」からも入る、とくに文学の言葉は「耳」から入ることが多かったということを知っておいてほしかっただけです。加藤さんを尊敬しているんですけど、その学説に対しては反対します(笑)。
『話し言葉の日本語』(新潮文庫)に収録
Tweet